木喰仏

2020年9月29日

木喰(もくじき、仏師・1718-1810)

連休中に木喰の里(山梨県身延町)まで行ってきました。木喰という人は江戸時代の仏師で、円空より100年くらい後の人です。微笑仏(みしょうぶつ)という笑顔で丸みのある仏像が代表的です。抽象的で鋭角的な円空とは対象的に、丸く、工芸的で「まんが日本昔ばなし」のような親しみやすい表情です。木喰についてはざっくりこんな感じです。


山梨の山中の農家の少年は14歳のとき「ちょっと畑行ってくる」と言ってそのまま江戸へ。それから就職と失業を繰り返し22歳のときに出家。45歳のときに木食戎を授かり、このときから「木喰」と名乗るようになります。

木食戎というのは厳しい修行で、要は木の実しか食べないのです。詳しくいえば、もともと肉NGに加えて穀類NG、木の実でも栽培果実はNG、加熱食や塩を加えるのもNGだったようです。栗100粒で100日過ごしたなんて話もあるようです。そばはOKだったようで、そば粉を水でこねたものを食べたりしてたそうです。普通は100日なんですが木喰はそれを生涯続けたそうです。

それから10年以上経過した56歳から廻国修行を始め、全国を行脚します。津軽海峡を渡り北海道から南は鹿児島まで回ります。廻国修行中に円空仏に触れて感動して彫刻を始めたという説もあります(諸説あり)60歳を越えてから造像を始めるという超遅咲きです。

それから生涯廻国修行の行く先々で仏像を残していきます。80歳の頃に「微笑仏」で知られる満面笑みの作風に到達。90歳を越えても旅の中にありました。89歳、京都に行ったときの記録によると木喰は180センチの長身痩躯で髪も髭も真っ白、土色の服で錫を持っていたそうです。びっくりしたでしょうね。やはりその時も五穀や塩を取らず、布団に寝ず常に衣一枚でいたそうです。(リンク:清源寺)

それまで楽なことなど一つもないように見えますが造る仏像は満面の笑顔。先の京都では十六羅漢が盃を持って顔を隠してる像もあったり(破戒です、笑)また書画も多く残しております。

まるまると まるめまるめよわが心 まん丸丸く 丸くまん丸

なんて歌も残しています。

木喰の里微笑館で書籍を購入

93歳でこの世を去ります。旅の中で没し、死んだことだけが伝えられただけで、どこで死んだかは今もわかっていません。

千体を越えて造像された木喰仏は庶民の中にあって、脚光を浴びることもなくあるものは打ち捨てられ、売られ散逸し、忘れ去られました。100年以上経過し、1924年(大正13年)柳宗悦が偶然発見、それから再評価の動きになりました。


木喰の故郷見延町にある記念館「微笑館」に行ってきました。私営の小型美術館程度の規模・立地を想像して行くと想像以上に険しい山の中でした。

右は崖、左も崖。ガードレールなしの1車線。軽自動車でも怖い

記念館にはいくつかの書画の展示があり、非常に残念なことに実物の像は1点のみ、ほかはレプリカでした。木喰仏の現存数は600を越えるんですが、蒐集はうまくいってないようですね。

木喰仏は現存数も多く国内各所に点在するので、見る機会はあると思います。親しみやすく、かわいい像が多いので是非おすすめですよ。

参考:

  • 木喰仏入門 小島梯次
  • 木喰展カタログ(見延町なかとみ現代工芸美術館)
  • Wikipedia 木喰