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  • 建築物鑑賞01

渋谷の建築1:三基商事東京支店

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設計:竹中工務店 / 竣工:1985年3月

情報参考:建築+街並探訪 三基商事東京支店

煉瓦に覆われた重厚な佇まい。ピラミッドを4つに割った形状で道路に面した二面が煉瓦斜面で殆ど窓が無く、他の二面は普通な仕上がり。

三基商事は「さんき」ではなく「みき」商事。ミキプルーンのミキ。あれか。あの有名な「新婚さんいらっしゃい」をスポンサードしているところで、子供の頃はどこに売ってるんだろうと思ってました。きっと関東に売ってるのかな(私は九州育ち)と思ってましたが、東京でも見かけません。

調べるとココ、ネットワークビジネスなんですね。最近知りました。アムウェイとかニュースキンと同じ、いわゆるマルチ。国内でも有力なところで、上位に位置するようです。

ネットワークビジネス企業ランキング eサイドビジネス

2ちゃんねるでの評判:ミキプルーンはどうなの? 三基商事・・

いわゆるネットワークビジネスでは、商品をアピールするためにホームパーティーに招き、テーブルの上は製品尽くめ…というパターンが一般的らしい。

余談だが、一般名称にも近い知名度の「タッパーウェア」もそのような形態で販売され、タッパー尽くしのホームパーティーなんかやるんだそうだ。でもいまや100均でいいのがあるし、値段差がありすぎると一層手が出にくいでしょうね。

さらに余談だが、うちは(というより私は)ジップロック派なので、先日はホームパーティーでもないのにテーブルの上はジップロックだらけの食卓でしたよ。作り置きばかりの食卓とも。よく言っても時間差おせちだ。旧正月ですら一ヶ月以上過ぎたというのに(笑

さらにさらに余談は続くけどジップロックはいいよ。競合品よりやや高めですが、安かろう悪かろうではないシッカリした安心感があるのが一つ、それに同じモデルをどこでも売ってていつでも買えるから追加購入しやすいんだよね。もう作ってない売ってない買えない、ってことがない。同じ蓋同じ容器がいくつもあれば使いまわしも流用も効くので、いいです。ほどほどに安いから、菓子や料理を近所におすそ分けしても容器ごと上げていいし。

さて戻って。

そうそう、ミキプルーンの話。三基商事はプルーンだけでなくほかの健康食品も出してるようです。会社のオフィシャルページにレシピが出てます。

プルーンクッキング

糸こんのマスタード和えなんていうごく自然な惣菜の材料に「ミキプルーン」「ミキプロティーン」「ミキバイオC」「ミキエコー37」などという瓶詰めの粉や錠剤やペーストが入ってるわけですよ。プロティーンかりんとうに至ってはかなり謎。いろんな粉をふんだんに入れた菓子というのも生理的に受け入れがたい、というようなことではなく、どういう意味でプロティーンなんか使うのか意味が全く不明。プロティーンって筋肉増強したい人とか、あるいはダイエットで不足しがちなたんぱく質を補給するために補助的にとったりするヤツでしょ?そういう人はまず余分な糖分、脂質を抑えたい人だったりすると思うんだが…

スパゲティーの大根おろし ミキバイオ-Cのりあたりのメニューも厳しいな。まぁあれだ、健康に良いかどうかはともかく体に害もないのであれば、合法の範囲内でビジネスを行う分には特に野暮なことを言いたくはないけども、ちょっと食べたくは無いなぁ。

渋谷の建築2:青山学院

Photo by PDA

正面:間島記念館

設計:清水組 / 竣工:1929年 (参考:近代建築散策:青山学院大学間島記念館(旧間島記念図書館)

正門から真っすぐに伸びた道の突き当たりにランドマークとなる間島記念館という大学らしい作り。

構内には、実は20年前に一度入ったことがあるきりだが、20年ぶりにこっそり足を踏み入れます。少し奥に位置するガウチャー・メモリアル・ホールは、正面はステンドグラスが配されており教会らしいデザインが素晴らしいのですが、それだけでなく全体のデザインも素晴らしい。垂直に高くそそり立つ建物に対して、深い庇が水平にリズミカルな陰影を落す姿には惚れ惚れとしてしまいます。

残念ながら私の写真ではそんなよさを捉えることが、微塵も出来てなく恥ずかしい限りではありますが。

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設計:日建設計 / 竣工:2001年8月 (参考:清水建設 作品集 青山学院大学 ガウチャー・メモリアル・ホール


青山学院大学 - Wikipediaを読むとこんな記述が。

学生食堂

* 青山キャンパスの学生食堂(学食)は地下に設置されている。昼の時間帯は高等部の学生、周辺の会社員などが大学の昼休み開始以前の時間帯から数多く利用している。


実は、20年前。ここに足を踏み入れたことがあります。大学生の頃、青山のどこかの画廊に足を運んだ帰りに腹も減り金も無く、周辺の料理屋といえば値の張る店かマックくらいで、しかしマックは食べたくない気分でどうしたものかと徘徊をするうちに、立ち止まったのが青学の前。

私は、つまみ出されやしないかと心配しながら(芸大の警備は結構厳しいのでどこもそうだと思っていた)入っていくと、すぐにあった学生食堂。安くて美味しくなかなかモダンな学食に、さすがに違うなと思いました。

芸大の学食ときたら、他大学とは全く違い、戦後困窮期の食事はこうであったろうと思えるほどの貧相さでしたからね。

その学食へ行ってきましたよ。今は、どうかな。

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写真映りはイマイチですが、なかなか本格的な、カレーがあるあたり、さすが青学。

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結構ボリュームのあるミートソースが290円。うむ。安心しました。

しかしアレだ。周辺の社会人はここで食べちゃいかんなぁとか思いました。ちゃんとそれなりの値段のところで食べて、巡り巡って私大の安い学食を支える側であってほしいなぁと。

渋谷の建築3:渋谷109

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設計:竹山実 / 竣工:1978年

駅へ向かって張り出した埠頭の突端に聳える灯台のような渋谷109。渋谷のランドマークを超えて「繁華街」という概念のランドマークと言ってもいい。

ところで、右手に回ると、建物がブッツリと切れている、ということをご存知でしょうか。

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切れているどころではなく、実は別の建物なんです。109に凹みがあって、そこにすっぽり嵌る形で別の建物になっているという。地図で見ると一目瞭然です。

建設当時、用地買収に一軒だけ応じなかったため、このようなことになってしまっていることは案外知られていません。左からの写真映りの良い、右から撮られることを嫌う女優のようなこういった一面も渋谷を代表するランドマークには相応しいのかもしれません。


ボクは東京で一人暮らしを始める。今、ボクよりちょっとだけ先に東京人になったセンパイの世話になっている。今度ハンズに行こうという話。

「センパイ、イチマルキューを右に入っていくといいんですよね、確か」

「え?今なんだって?」

「ええと、イチマルキューを右に…」

(鼻で笑って見下すように)「あー、もしかして、あの円筒形のビルのこと?」

「そうだけど…」(何か間違った?)

「あれはなぁ。…もしかしてオマエ、ヒャクキュウだと思ってない?」

「え?ヒャクキュウって書いてあるし…」

「違う違う。あれは、10、と、9。だから、トウ・キュウ。トウキュウって読むんだよ。」

(赤面しながら)「なるほど!東急のビルですしね」

「全くオマエはなぁ。この前、吉祥寺のことをキッショウジって言った時みたいに、笑われるぞ」

「いや、どうも。また恥をかくところでしたよ」

「わはははは」

「わはははは」

それから20年。

ボクは今、日々の5/7は渋谷で過ごしてますが、あれは「イチマルキュウ」でいいんじゃないかと思ってます。第一、トウキュウって言うと大抵の人は、ほど近い東急本店のことだと思ってしまいますし。


というような話が、渋谷には多い気がします。私が友人と待ち合わせたとき、

私「今どこにいるの?」

友「オイオイの前だよ!」

と言われてビックリしたのも渋谷だったなぁ。他にもある。

垢抜けない友人と一緒に渋谷を歩いてた時のこと。でっかいビルにパチンコ屋が何フロアにもまたがって営業してるらしい、って話をしながらキョロキョロしてたら、彼は

「あれじゃねーの?」

と指差す方を見ればそれらしい建物はありません。

「どこ?」

と聞き返すと

「ほら、あれ。パルコって書いてある」

一瞬意味が分かりませんでしたが、2秒頭の中が白くなった後に理解しました。確かに地方都市に行くとパルコっていうとパチンコ屋かラブホの名前に多い気がします。

渋谷には、そんな人を混乱させる魔力があります。

まず駅前からして、すぐに理解しにくい。新宿であれ池袋であれ、東と西、表と裏では表情が違うし、土地をよく知らなくてもそういう違いを手がかりに、逆に行けばどこ、四方で考えればどう、というふうに推測しやすい。

ところが渋谷は五角形というか七角形というか妙な放射状で、表情の違いもなかなか分かりにくい。魔都的な形状としか思えません。

東京という都市自体も放射状で、江戸城下町の痕跡を残し、皇居を軸に放射線と同心円で道路網が構成されているわけですが、軸からずれた一点からまた別の放射網がある、そんな場所が渋谷です。それは自己相似を繰り返すフラクタル図形の美しさを連想できず、どちらかというと顔にできた人面瘡のような不気味さのほうがマッチします。

迷いの海にさらに誘う灯台、渋谷トウ・キュウ。

渋谷の建築4:国連大学本部ビル

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設計:丹下健三 / 竣工:1992年

正面のマークは昔のSGIのマークみたい。

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むき出しの材質感と、構造的な強さを感じさせる丹下健三らしいデザイン。青山学院の向かいに立ち、平日の昼間でもひっそりとした佇まいで、厳重な警備員が目立つばかりで人気(ひとけ)もそれほどありません。

中に入ると、二階がちょいと広いギャラリーで、無料開放されており、私が行った日は世界の不幸な地域;交戦状態にあったり混乱状態、病気に苦しむ子供ら、チェルノブイリの被災者たち;という写真展が無料で行われていました。観覧者は私だけ。

一階はロビーになっており、奥の部屋へと続く通路は一般人は入れません。入口付近にささやかな一般向けの案内があり、ここで国連の記念切手と記念葉書を買うことができます。そしてここで書いた手紙を出せば、ニューヨーク経由で航空便として送ることができるようです。

向かいの青山学院とは逆で、大学というにはまったく大学らしいところがありません。大学といいつつ大学生はおらず、もちろん入試もありません。

ここは、国連の機関で、本部というのは「日本本部」ではなく世界の「本部」であり、学生がいない代わりに研究者が集まり国連のシンクタンクとしてさまざまな研究を行っているんだそうです。

東京ではさまざまな異空間が用意されてますが、ここもまた不思議な異空間。建物の中は東京じゃない。

国連大学とは何?

国際連合大学「サイトマップ」

丹下健三オフィシャル:国連大学

渋谷の建築5:名曲喫茶ライオン

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設計:山寺弥之助 / 竣工:1950年

渋谷はラブホテル街の入り口、百軒店を入って路地を進むと見える名曲喫茶ライオン。クラシック音楽を聴かせる店。名曲喫茶もまた日本独自の文化。欧米では生演奏のほうが高価なオーディオ装置より手軽っていうことなんでしょう。

写真映りも良く、店は装飾的な意匠が凝らしてあるものの、古びたコンクリートモルタルの外装はお世辞にも美しいとは言えません。というのも無理もなく、戦後間もない時期の建築物は皆このようなものです。むしろ、これほど装飾性に満ちた建築物は珍しいです。

裏手に回ると、そちらはそちらで装飾が味わい深い。

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百軒店は、もともとは関東大震災で壊滅的な被害を受けた下町の店舗群の仮店舗を集め、ショッピングモールとして栄えていたようです。その後復興に伴い店舗は元の場所に還り、また寂れていくのですが、当初このライオンは昭和元年、この百軒店に建っていますからそうとうに賑わっていた頃でしょう。店主自らが内装、外装全てのデザインを手がけたというからたいしたものです。その後、太平洋戦争に突入し、空襲で全焼してしまいますが戦後、当初と同じデザインで再建します。こだわりと思いいれが深かったことでしょう。

渋谷に限らず、東京は案外明治時代頃の建築も多く残り、近代史を折り重ねたような街は多いです。明治期の雅やかな瓦葺きにレンガ造りのような和洋折衷の建物、銅張りの民家、震災の傷跡、焼け跡闇市を今に伝える商店街、戦後の貧相な建築群、そして高度成長とともに高く成長するビル街、大規模商業施設。そんな大小の建物がアブクのように混在し、交じり合っています。

そんな渋谷にあってまさにこのライオンは近代史を焼き付けた建物だといえるでしょう。

名曲喫茶ライオン

|||東京遺産||| ~より道 道くさ さんぽ道~

渋谷の建築6:宮益坂ビルディング

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設計:東京都 / 竣工:1953年

駅前にあるなんでもないこのビルはやたらと古い。築50年をゆうに越えます。竣工は53年(昭和28年)ですから、まだ戦後といえる時期。戦後初の分譲集合住宅で、地下と一階が店舗、上層階は住宅や事務所が入っています。

外観は、優雅な丸みを帯びたデザインで、この時期の建築、それも名のある建築家の作品ではない都の建物でこれは珍しい。壁面も、戦後のビル特有の安っぽいハリボテ感がなくシッカリとした作り。もちろん中もシッカリしています。

当時のビルらしい、石張り階段にコンクリート壁、しかし手すりは丸みがつけてありどことなく優雅な雰囲気。

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ドアは摺り削れ、真鍮のノブはツルツルに手で磨かれてます。注意書きのプレートも金属製で、古い船の内装のような味があります。古いというだけでなく、手入れが行き届き、使い込まれながらも実用品として生きており、人の活気が今もある。泣けます。

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新旧混在する街を歩いていると、建てた時期を思いながら見ています。

「赤張り」と言われる銅葺きの屋根に意匠を凝らした手すりの民家は、少なくとも戦前のものだろうとか、ゴシック風の和洋折衷のビルは明治時代だろうか、とか。民家にも変遷があって、木や漆喰の壁だったものがコンクリート、吹き付けの壁になり、やがてサッシが導入され始めるのは昭和40年くらいからか。その頃から外壁にタイル張りの家がでてきて、昭和40年頃は光沢のある紺色のタイルや丸い褐色の大小のタイルのモザイク張りのような、見るからにこなれてない/センスのないものも多く、それも時代が下るとだいたい茶系の洗練されたレンガ風タイルが主流になります。

やがて、汚れや染みの目立つコンクリート系の壁は無くなりサイディングの壁が主流になっていき、のび太やサザエさんの家のような「文化住宅」は過去のものとなっていきます。

で、そういう流れの中にあって戦後あたりのビルというのは見ていて悲しくなってきます。コンクリートの外壁も窓も飾り気がなく貧相で安っぽく、建物に遊びがない。モノが無い金がない、という背景も分かるんですが、本来遊びにモノも金も要らないんですよね。それが悲しい。


ちょっと前に、Googleの社内はカラフルで色とりどりのバランスボールに座って仕事をする環境が素晴らしい、クリエイティブな環境だ、みたいな記事(例えば世界中の技術者が憧れる、Google本社の豪華ランチを食べてみた!!)がありましたが、それはどうなんだろう、と思います。

役所だとか昔のある種の事務所だとかには、グレーの椅子グレーの机が並んでいました。それって、Googleのように色彩による効果、みたいなことに全く無頓着だからグレーなんでしょうか。違いますね。全くGoogleと同じく色彩効果が分かった上で、グレーの素っ気無い色が選択されているんです。

「我々はここで仕事をしてるんだ、遊びじゃない」「そして無駄なことにお金は使っていませんよ」そうアピールするためにはグレーこそ最適。そして素っ気無い事務用品がその効果を高めます。実は、事務用品であってもそこで働く人の使い心地以上に、それを見る人の印象というものを気にするものだったりします。そういう側面でみると、Googleのカラフルな内装というのは取材記者や入社希望者へ「ウチはこんなに自由で既存の価値観にとらわれないんですよ」とアピールしている、という側面が大きい。過剰であざとい。そこで働く人のためのものじゃない。というのは言いすぎかもしれない、気に入ってる人もいるだろう、けれどもそこで継続して働いていればあんまり刺激や何かにはならないでしょうね。グレーの机と同じになっちゃうでしょう。

何でこんな話を持ち出すかというと、同じようにどう見られるかという力を戦後の建築物の悲しいまでの素っ気無さから感じるからです。素っ気無いのは、モノが無いからでも金が無いからでもなく、その時代の負い目、恥じらい、遠慮、ストイックさ、そういう気分が無言のうちにオーナー、設計者から末端の職人にまでコンセンサスとして行き渡っていたのであろうと想像するからです。

多くの戦後まもない時期の建築物を見たあとだと、先の名曲喫茶ライオンと同じく、そういう時代にあって気を吐く建物に意気を感じてしまうんですよね。しかも気負いのないしゃれっ気を持って堂々と胸をはって揺らぐことなく建ち続ける、宮益坂ビルディングは今も血を通わせている、そしてそれが当たり前のこととして普通にビルとして使われている。

こういうところに一度住んでみたいものです。