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妻の実家の墓参りをする

妻の実家の祖先の墓が滅法古いことを知ったのは2年前になります。

それまでは、混雑を避けるため盆を外して帰っていたので行けなかったのです。そこに行くには山道が険しく盆前に草刈りを済ませてからでないと行けなかったので。
二年前、つまり震災の後、会社で節電対策として夏休みを好きな日に取れなくなり休暇は盆の週の固定となったので、それで初めて古い墓の存在を知りました。

家の裏手の山道を数十メートル進むと普通の墓があり(ここは毎年参ってた)そこはせいぜい明治以降の祖先の墓で、普通に見かける石塔一基です。そこからさらに山を分け入り奥に入ると先祖の墓地があります。30基以上は石塔が並んでおり、年号を読むと明治以前は安政、文政、寛政、安永、宝暦、享保の文字が確認できました。最も古いのが享保(1716-1735)で約300年前。妻によるとこういう墓群は珍しくもないそうですが…

古い石塔全てに水を掛け生米と線香を捧げてから手を合わせました。

以下、江戸時代の墓碑に共通して見られた特徴を列記。

・墓碑銘は戒名で記載
・墓碑銘の刻まれた面は平滑で、縁取るように一段削られ、そこに文字が刻まれている
・墓碑銘の反対面は荒くノミの跡があらわで、磨かれていない
・墓碑銘に向かって右側側面に没年記載、左面に没月日を記載
・没年は年号+十干十二支が多い。宝暦n年甲子、みたいな記載
・石は軟らかそうで御影石のようなものは無く、脆そうな印象
・卒塔婆のように逆八の字、というか上にいくに従い幅が広がる石塔も。近代以降ではあまり見ない気がする
・子どもの墓は4、50センチ程度と低く、○○童子(童女)と彫られている

全体に子供の墓は大人の石塔に比べても多いのではないかという印象。幼年迄に亡くなることが昔は多かったろうけれども、跡継ぎでもない女児の墓も多く、子どもは特に厚く悼まれたのではないか、と思えました。

鬱蒼と茂る木の中の雰囲気はなかなかのものですがさすがに写真は撮りづらい雰囲気でした。