MetLog

その後の考え方を変えた化学用語

まだ若い頃、ゲーム仲間との会話の中で、その後の考え方を変える決定的な話があった。

それまでの話の流れは良く覚えてないが彼との会話はこう始まった。

「律速考えろよ律速」

私「リッソクって何?」

彼「・・・知らないのか」

私「知らん」

彼はちょっと考えてからこんなことを言った。

彼「例えばmetroが、早くプリントするカメラの開発を任されたとしようか。流れはだいたい分かる?」

私「一応現像も自分でしたことある」

彼「仮に、シャッターを千分の一秒で開くとしよう。

それを現像するのに1分、定着3分。洗いも3分。

プリントで現像定着もそのくらいとして水洗いと乾燥で3時間。

さて、ではどこから手をつける?」

私「水洗い乾燥、だな」

彼「そういうことだ」

私「そういうことか」

こういう配分であればとりあえずシャッタースピードの改良、というのは優先度は低い。

まず大きな問題点を探す。最大要因は何か。そこから切り崩していかないと解決の道は遠い。

言えば何でもないことだけど重要なことで、何度も助けられた。

当たり前のようだけど、これが結構、ある。

例えば100ギガのハードディスクがいっぱいで困ってるときに文書ファイルやこまごまとしたファイルから精査する人をたしなめたことが何度かある。見た目雑多に見えてそこを直すという気持ちも分かるけど解決とは別の話だ。そういうことも結構だがまずは最大サイズのフォルダを探してそこから当たることだ。

節電に関してもそう。さあ節電しよう、という時にイキナリ待機電力から入ったり。これはだいたい意味が無い。


大筋に関係のない微細な部分で何かをする、ということに疑念や抵抗を感じます。たとえばボトルキャップを集めてそれがワクチンになるとか。エコになるとか。これらはもう少しよく考えたほうが良いでしょう(参考:ペットボトル - Wikipedia)

「節電で待機電力から」にしてもボトルキャップにしても、それにかけるコストは意外に大きい。大きなコストで得られる「何かやった感」「頑張った感」「良い事した感」に比べはるかに小さい成果。問題なのはそこで一定の満足を得てしまうこと。努力はしました。だからそれ以上の努力はしなくなる、ってこと。

話はややそれていくけど。

多くの場合、微小な成果に多大な努力を強いるものに「愛情」だとか「善意」だとか測定不能な何かが付随すると判断が曇りがち。弁当の飾り付けに多大な注力をするくらいのことなら害は無いが「ワンクリックで一円の…」のようなものもちょっと気になる。「ワンクリック」のコストは思うより高い。そして小さな成果。そこで満足して終わる何かが、その分あるということ。それでいいの?


そうそう、本来「律速」とは化学反応の反応速度効率のことを言うらしいのだけど、先の説明を聞いて誤解してスッカリ拡大解釈してしまっていたことに気がついたのはそれから随分経ってから。

でもそれを知ってもこの誤解があってこそ得るものがあったのでこれはこれで良しです。