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子どもの絵は魅力を失くしていくのか

ピュアな子どもの描く絵は素晴らしい、というのは良く言われる言説で、裏返せば長じて魅力を失くしていくという説。「二十歳過ぎればただの人」に通じる、劣化する感性というフォークロアは本当のところどうなのかと思います。

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子どもの絵というのは確かに、マテリアルとしての絵画性だとか、対象を写さない(ことが多い)とか、描くことそのものへの楽しさ、とか、現代的芸術観に受け入れられやすい要素が多いので、高く評価されることは、まあ分かります。

で、やがて、記号的なものを習得していくわけです。漫画のような目、顔。肌は肌色に塗る。輪郭線による、形と意味の単純な解釈。

それって、つまり劣化なのでしょうか。

実は、娘と対話しながら探ってみると、彼女が何を描こうとしているのかに驚きました。

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描く対象=関心の対象、という行動は自然な成り行きで、つまり身近な人物が絵の対象になるのも当たり前な話で。多くの場合、ともだちを描くことになるでしょう。あるいは先生や家族。

で、娘は必死に描いては直し、途中で見られるのを嫌がり、一生懸命なわけですが何を気にしているかというと

「自分の絵は可愛くない、○○ちゃんはもっと可愛い」

ということで、まるで可愛く描かないと○○ちゃんに申し訳ないとでも言わんばかりでした。

安易な記号に頼り、早急に表現しようとしてるのではなく、「可愛い」を描くという大人でもプロでも難しいことに挑戦しようとしていたことに、驚きました。子どもたちはそんなことを考えていたのか。そういうふうに、変わっていくのか。

独創的で、安易な記号に頼らないカワイイ絵を描ければ、それは歴史に名を残す人物になれるよ。無茶すぎる。

そもそも可愛さの表現というのは記号化し単純化することでなされるものであり、美術指導者の喜ぶ種類のものじゃないけれどもそれはそれで正解なんじゃないかなとも思いました。

コメント (2)

かわいさの表現・・・奈良美智さんなんかはどうでしょうか。

metro:

衒いすぎ

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