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100円の偽善

昨日ようやく寄付をしました。

数日ポケットに入ってて機会を窺っていた百円をミスドで寄付。なんでも障害者リーダー育成?障害者も海外旅行を、と書いてありました。そういえばそんな話は聞いたことがあります。詳しくは読んでませんがミスドを信頼して変な流用は無いだろうと託しました。

…と随分偉そうに書いてますがこのお金、先週駅前で拾ったもの。警察に届けるのも面倒だし時間も食うし少額だし、嫌。かといって自分で使う気にもなれず困ってました。

こういう時善人なら警察か駅に届けるんでしょうか。そうでない人は自分で使っちゃうのでしょう。私のように寄付するひとは偽善者でしょうね。しかしここは偽善で正解なんじゃないかな。

拾わないという選択もあったか。でもそれは経済上では悪人だろうな。経済的善人なら「とっとと使う」だろうな。

コメント (4)

天慈:

少なくとも私の考える偽善者っていうのは、寄付せずに自分のために使い「そんな寄付なんかするのは偽善だ」と言う人だと思ってます。つまり、自分は偽善をしているんだという後ろめたさを感じつつ、それでも「何かしたい」と思って自分にできることをしている人は偽善者ではないということです。あくまで私の考えではあるんですが、たぶん同じように考えてる人は多いと思いますよ。
それとお金は一円でも大切ですから、使うも届けるも拾うことが正しいと私は思っています。

metro:

なるほど、そうかもしれません>偽善
本人より周りがそう見るんじゃないかと思ったり、「でも善人的じゃないかな」とか思ったりしたもので。

お金大切は私も同感です。
ただ「子供が無くして、探しに来るのでは?」という想像をしてそのままにしておくという選択をする人も、それはそれで間違ってないのではないかとも思います。
↑どっちにしても届けたくないという前提?(笑

天慈:

ああ、その発想はなかった。>ただ「子供が無くして、探しに来るのでは?」という想像をしてそのままにしておくという選択

でも、私のように拾ってしまう人間もいたりするわけで。ついそういう人に拾われるくらいなら私が貰っちゃえと思ってしまう。まあそこらへんが「自分のことしか考えてない」わけなんですけれど。
以前、息子が私から預かった千円を落としてしまい、探したけれど見つからなかったことがありましたけれど、あの時も「そうだよな。私だって千円拾ったら自分のポッケに入れちゃうし」と思ったものでした。

でまあ、そうは思う私ですけれど、もし、なくした100円を探して見つからないと泣きそうになりながら探している子が目の前にいたら、たぶん100円をあげると思います。千円くらいまでなら。あまりに大金だったら、私も裕福じゃないのであげられませんけれど。(笑)
募金の箱には100円は入れませんが、そういう形での募金は納得するんですよねえ、私の場合。

metro:

募金というか還元というか、そういう場面に出くわせば、私もそうするかもしれないです。

なんにしろ、100円をネタにこうしてブログに書いてみたり天慈さんとも話題を楽しめたわけですから、100円以上の価値を駅で拾ったんだなーとか思ってます。

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