MetLog

ブログやtwitterの距離感

twitterは呟くように書いては流れていくサービスだから気軽に書くことが多いと思うんだけども、普通のブログと同じようにそれぞれの発言にパーマリンクが作られて特に制限なくネットに残り続けているということを皆自覚しているのだろうかとも思います。そのへん甘く考えてる人も多そう。プロテクトモードなら誰でも見れるってことはないでしょうが(そのへんも普通のブログと同様か)


ブログでアクセス数も振るわなければ発信する範囲が狭いなどと勘違いしてしまう人も多いんだけども、実際は無制限に誰でも見れるが標準仕様。「見られる(可能性)」ことと「見られる(誰かに)」ことのズレを誤解しやすい。それが元でトラブルというのも絶えませんね。

情報は発信という例えが一番しっくりきます。可視範囲に対象がいるんではなくて全国放送を発信してて(実際はもっと広くて長い時間残るものだけど それはまた後で)だけども多くの場合視聴者はすごく少ない。でもどうせ誰も聞いてないだろうといい加減なことを言うと、それは問題になる。犯罪予告をすれば警察がドアを叩く。

とあるTV局、一人で放送。視聴率はジリ貧で指折り数える人数が日に何人か居るか居ないか。そんなTVジョッキーが誰も聞いてないと思って「天皇ぶっ殺しちゃえばいいのに」とか「○○に人権は無いから」とかまぁなんでもいいや、メチャクチャな適当なことを言ってればそれはそれでただでも済むまい。読んでる人が現状少ないからといってもそれは免罪符にならないってところは注意が必要で、なかなか分かってないことも多いので、そういうことはそのうち義務教育で教えるようになったりするのかも知れないとか思います。


自分が日本語しか読めないことは致し方ないのですが、そうやって書いたものは対象が日本人だ、と思い込んでしまいがち。しかしページ翻訳で案外海外に紹介されることもあったり。とりたてて尖ったIT技術の情報発信者でもなくアクセスもたいしてないだろう末端ブロガーの私のサイトでさえ、わざわざ翻訳されて読まれることもあります。過去にも書いたのでリンク:MetLog:「インターネットは世界への窓」

そういうことは今後ますます増えていくでしょうね。

特に、写真なんかは見知らぬ海外からアクセスされて知らないところで注目を浴びたり。

CDジャケットが検索対象に上がらなくて、iTunesに画像を入れられず寂しい思いをしたことがしばしば。なので、自分用にキャプチャした画像を自分のブログにアップロードしたらどこかで助かる人もいるかもしれない、と思ったら、その画像が人気で妙に海外からアクセスしてきて不思議な気がしましたよ。そんなに珍しかったのだろうかボブ・マーレイのTシャツを着たサンタナの画像が。

私に限らず、なんてことのないスナップ写真が海外からリンクされて、かなりのアクセス数になってて気味悪く感じる、という話も珍しいことでもないんですよね。わりと聞く話。サイトでの話というのは思わぬ広がりを持っていて今更ながら驚くこともあります。


昔は…といっても本当に昔は、「誰も見てないと思っても神様が見てるよ」と子供に諭し、長じてもなお「どこで誰が見てるか分からないよ」というのは一つの道徳規範として効果を持っていたものでしょう。ところが都市化で個が見えづらくなったり核家族化でローカルのつながりが見えづらくなったりでそういった「見えざる視線なんてない」という感覚が広まった期間、というのがこれまでそうとうあったと思うんですよ。そこへきてある面ネット社会というのはそういう見えざる目の復権が起きているんではないでしょうかね。少なくともある程度以上ブログや何かネットでの活動をしていると、なんらかの視線を感じたり意識しながら書いていたりするんじゃないでしょうか。

最近でもネットで犯罪自慢した子供が、バレて騒動になって仕事先をクビになったり自主退学したりしたようです。少し厳しい信賞必罰。インターネット=天の網。疎にして漏らさず。