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各種雑感 コラ/多浪/いちごとチューリップ/ほか

古いブックマークをざらざらと見ながら、今更なリアクションなり感想なり雑感。なかなか書きにくいと思ったものもあります。


ARTIFACT@ハテナ系 - 出身地が違うのに大阪や広島など関西の方言を使って相手を脅した気になれる人

ネット越しにドスを効かせたいんだろうけど滑稽にしか見えない。でも、そういう人って低コストで幸せになれそうでいいなあ。

そういえば、関西人や広島の人が怒号を発する時、各語尾に「コラ!」をつけます。では、コラ!というのは関西言葉かというと、そうではなく鹿児島弁。明治維新後に生まれた「警官」には鹿児島出身者が多くを占め、鹿児島出身警官のかけた言葉が全国的に広まったというもの。

そう考えると関西弁や広島弁もまた、借り物の罵声。


穴だらけ - 男女逆転

同居人は働いていない。家事をしながら日本で一番難しい資格試験のひとつといわれるものを取得するために、日夜勉学に励んでいる。

ここから「男女同権」とかそっち方面に話題はいくんだけども、私の頭はそうじゃない方向に。

そのなんていうんだろうか。こういうヤツって結構知ってて、居るんだよネェ。とか思い出して微妙な気分に。日夜勉学に励むっていうんですかね。さてどうなんだろうか、とか。少なくとも、働いてないというのはいいことだと思います。むしろ逆に、働きながらってのはどうにも言葉に困る勉学に励む人が多いんだよなぁ。しかし、彼女に頼るって段階で、「バイトしながら」と同様などうにも微妙な印象に。ある意味返さなくていい恩であり、そもそも借りてもないからね。

ビル清掃や管理のバイトをしながら司法試験を目指して勉強してるっていうのはポーズなんだか、本気なんだか、結果毎年落ち続けている司法浪人とか。

とある司法浪人君、試験はどうでしたかと私が聞くと、バイト多忙で試験当日熱を出して試験にいけなかったんだよ、だから今年は受けてない。そんなことをケロっと言ってた。それが嘘や照れ隠しである可能性を踏まえた上で私は思いました。ダメだこいつ。何年かかっても受かりっこないな、そしてそれは本人も承知してるんじゃないかな、みたいなことを。

特に成績優秀でもなく東大や○○医大を目指しているんだと5浪以上してて煙草なんかふかしているヤツとか。それなりに勉強してるところは見せてるんだけどもどこまで本気なんだか。周りも適当で、彼の志をあんまり本気にしてないようにも見える。本気にしてるようにも見える。そんな人とか。

みたいな、エターナルモラトリアム君。全部が全部じゃないにしろ、なんかものすごく高みを目指してるふりをして努力をしちゃってる真似事をする輩というのは、多い。働かず親や誰かの世話になってれば無限にそんなことを続けることなど出来ないんだけど、自分で適当に働きながらだと、無限延長できちゃったりするのがアレなんだろうなぁ。働かないほうがいいには違いないけども、上のブログのような、勉強はする働かない、で彼女に頼るという、いわばヒモっぽいパターンもいくつか知ってるからなぁ。そういう人たちでその後ちゃんと合格してるケースってどれくらいあるんだろう?最後にハッピーエンドが待っているケースってあんまり知らない(私が知らないだけかもしれないが)

とかいう私もかつては周りの美大浪人にもそう受け取られても申し開きできないような受験生というのは多かった。5浪以上してて「もう芸大しか受けない」けど、バイトに忙しかったりしてあんまり絵も描かないでそんなんでいいのか?というような人々。それでも芸大はそういう人の中から合格していく人も多く、同級生にも5浪6浪は平気でいたけども、ガチで勉強勝負の世界でそういうのはどうなんだろう。

目標が高いのなら、借金してでも無理を通してでも、というかむしろ無理をして働かずにフルタイムで勉強に専念すべきだろうなと、そういう人たちを見ながら強く思った大学未満~バイトでそういう知り合いも多かった学生時代。懐かしいなぁ。皆、今はどうしてるんだろう。


陽のあたらない美術館 -人間再生- | トップダウンで生きるか、ボトムアップに生きるか。

●「トップダウン」で生きる

自身の人生の到達点について明確なビジョンをもっており、その達成に向かって邁進する生き方です。
(略)
人生で「なにを為すか」が重要となる生き方です。

●「ボトムアップ」に生きる
自身の人生の到達点を明確に意識しない生き方です。 これは生きる目的がないことと同義ではありません。
(略)
人生で「なにを為したか」が重要となる生き方です。

昔からある平凡な二元論を、トップダウン/ボトムアップと言い換えて纏める、非常に面白い論。けどもどこか違うなぁという違和感を持ってました。何が違うんだろう?

自分を振り返ってみます。多くの人と同じように、子供の頃や若い頃は目指す目標があり、そして多くの人と同じように、その目標通りの生き方を大人になってからはしていません。だけどもどこかで方向転換して向きを変えたり、挫折を味わって妥協に転じたというわけでもなく、ひどい挫折感に悩んだり後悔していたりするわけでもないんです。子供の頃の夢や目標を現実のものとできることは、それは素晴らしいとは思いますが、だからといってそうでない生き方に不満を感じているわけでもない。就職が決って髪を切ってきた時 もう若くないさと 君に言い訳したりしてその時に生き方を変えたわけでもないし、自分の大きな 夢を追うことが 今までの僕の 仕事だったけど 君を幸せにする それこそが これからの僕の 生きるしるしだなんていうことは、あ、それはあったかもしれない(笑

そういう転換を経ているわけじゃなくて、むしろ統一感すら感じる何かがあるんです。トップダウンとボトムアップ、この魅力的な二元論のおかげで肝心なものが見えにくくなっています。

よくよく思い出してみます。過去の自分は、美術家になりたかった。いやもっと前は単に「絵を描いて生きる(生計を立てる)」そんな風に生きたいと思っていました。でもこれって、本当に自分の考えた目標だったろうか?それはその通りなんだけども、そればかりではない、ということを思い出しました。

美術のA先生との出会いがなければ、そんな風に思い至ることはならなかっただろう。そしてその後、さまざまな幸運な出会いによって成長し、大学にも入れたということもあります。自分一人でどうにかなったとは思えない。

大学を出て、友人のつてでバイト感覚で仕事を手伝って、その仕事に熱中して気がつけば社員になってて。やがてその仕事を辞め、その後、就職するかフリーで行くか悩み、かつての師に相談しつつ、両面で道を探りながら、某月某日までに仕事が見つからなければフリーでやっていこう、と思ったらちょうどぎりぎりくらいに再度会社に入ることになったときには、縁を感じたものでした。やがて妻と出会ったり結婚したり子供ができたり、その都度舵を切る方向が変わっていきました。

出会いや縁で、生き方や目標は変わっていったなと今にして思います。爺臭い平凡な結論ですけど。そして、結局子供の頃や若い頃は、まだ縁らしい縁、つながりらしいつながりが希薄な故社会へのダイレクトなつながりを想像して「野球選手になりたい」とか「ミュージックスターになりたい」とか思いがちなんじゃないでしょうか。美術家になりたいってのも、そうですね。

どっちがいいとかいう話ではなく「トップダウン」「ボトムアップ」とスイッチもしないし、さらに言うとそういうふうに分かれてもいないんじゃないかと思うんですよね。そして多くの人はそんなもんじゃないかと。どこかで自分の仕事に出会って、それが天職になったり、曲がり角になったり。そして結果として、そこを真っ直ぐ目指してきた人と、寄り道をしてたどり着いた人と、仕事や成果が、どちらが勝ってるかはなんともいえないことが多かったりしますしね。

自分的関連:コピブロ: 手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』 (元ネタは2ちゃんコピペ、発言元の真偽は未確認だが話は示唆に富む)

手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』

(略)

藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか
「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、
私の持っている漫画観は全く逆です。

つまり、どっちもアリなんじゃないかと。

追記:070412

以下の記事が、とても共感しました。それに比べて私の記事は、人の記事に依って書きながらグダグダですね。恥ずかしい。

「人生は設計できるものではない」 (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)

エベレストにも登頂したチベット人登山家のクンガ・パサン氏は「人生は設計できるものではない」と言っています。彼は自分の成長、結婚、職業そして生死がいかに偶然な出来事によって左右されているかをメディアに素直に打ち明けています。

 ある時、彼はわずか数センチを踏み外したことで深い氷雪の谷に落ちました。もう死んだと誰もが思っていましたが、10日後、彼は奇跡的に救助されました。「10日間、どうやって過ごしましたか」と聞かれた彼は「映画のように、これまでの人生を思い出してみた。すると、自分の人生の多くは、偶然の結果だと気づきました」と言いました。

彼は偶然と言った。私は縁だと言った。けどどっちもさほどの違いはありません。ウンもエンも五十音なら、ほんの頭一つが隣り合わせ。

(追記ここまで)

話は逸れるが。かの名曲「いちご白書をもう一度」の引用ついでに。

子供の頃は、外向きの縁や関係の力ってのは、薄い。というか内向きの力が強いからね。親や家族に依存してるし、自立してないから。親が転勤になれば子供は泣く泣く転校。東京に進学すればそれまでの友人と別れ東京に引越し。仕事が大阪に決まれば彼女と別れて大阪に行く。

だけども、ひとたび社会人としてある程度以上のスキルを身につけ自立すれば、人は結構ワガママに生きることが出来るようになったりします。わざわざ地元の会社を選んで転職したり、煙草が吸える/逆に禁煙体制が整ってるかどうかで仕事を変わったり。傍から見れば下らない趣味的なコダワリやどうでもよさそうなことを大事に、案外自由にやってけたりします。

歌の中では、就職が決まって髪を切るのは挫折であり蹉跌であり屈折した敗北であり何か嘆くべきこととして物悲しく語られているんだけども、実は髪を切って囚われていたものから開放されて自由になった瞬間だったりするわけなんだよなぁ、と思います。

髪を伸ばすことが自由のシンボルであるかのような、自由という不自由に囚われた時代の歌だよなぁ。そういう時代が確かにあって、そんな時代の形骸にいまだに踊らされてる人たち(具体的には言わないけど)を見ると、物悲しい。

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嫌な顧客と嫌な人間 (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)

「俺は客だ」という姿勢で横柄な態度をとる社会人とか、殿様商売が身に沁みて横柄極まりない経営者とか。そういう話題はなかなか面白くはあるんですが最初の惹句が。

あなたの会社には掃除のおばさんの「おはようございます」に対して返事もしない方がいませんか。

ウチの会社には社員が頭を下げて挨拶をしても返事一つしない掃除のオッサンが居るのですが。…という話題で、部署で盛り上がっていたところ、上司は「いや挨拶するけど?あの人」みたいな話に。よくよく話をすり合わせると、どうやら幹部クラスの役職の人には挨拶してるらしいことが判明。

コメディの定番設定でよくあるような、引退したオーナー会長が掃除夫になって…なんていうシチュエーションでは、ないよなぁ。もしそうだとしてもあまりにも偉そうすぎだ。それにしても役職、内情を知ってるんだろうか、嗅覚がいいんだろうか。横柄掃除人、なかなか謎。

コメント (4)

つじ:

最後の掃除のおじさんは、おそらく、相手の年齢で応対を変えるタイプだと思いますよ。若い人は自動的に自分より格下だと見ているのではないか、というきがしますね。metroさんの会社、偉い人は、それなりに年をとっていませんか? 意外なことに現代の日本にも、そういう人はまだたくさんいます。

metro:

いや実は私の会社の、上の人間は案外若く、むしろ私のほうが年上だったり(とほほ…
そこ、抜けてました。書きわすれてました。
しかし実年齢ではなく、見た目上でのそういう年齢判断、かもしれません。
とすると確かにつじさんの仰るとおりですよ!<都合のいい意見

「トップダウン/ボトムダウン」についてのTBありがとうございます。
私自身も、自分の考えをまとめるために書いたようなものでして。
metro さんが「むしろ統一感すら感じる何か」と言われた、もう一つの軸がありそうにも思えます。

metro:

コメントありがとうございます。
あれこれ考えるきっかけになり、大変よい刺激になりました。正解の無い質問なんだろうなとは思いますが、解の一つを考えるというのは面白いことです。良いエントリにとても感謝しています。

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