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渋谷の建築6:宮益坂ビルディング

Photo by PDA

設計:東京都 / 竣工:1953年

駅前にあるなんでもないこのビルはやたらと古い。築50年をゆうに越えます。竣工は53年(昭和28年)ですから、まだ戦後といえる時期。戦後初の分譲集合住宅で、地下と一階が店舗、上層階は住宅や事務所が入っています。

外観は、優雅な丸みを帯びたデザインで、この時期の建築、それも名のある建築家の作品ではない都の建物でこれは珍しい。壁面も、戦後のビル特有の安っぽいハリボテ感がなくシッカリとした作り。もちろん中もシッカリしています。

当時のビルらしい、石張り階段にコンクリート壁、しかし手すりは丸みがつけてありどことなく優雅な雰囲気。

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ドアは摺り削れ、真鍮のノブはツルツルに手で磨かれてます。注意書きのプレートも金属製で、古い船の内装のような味があります。古いというだけでなく、手入れが行き届き、使い込まれながらも実用品として生きており、人の活気が今もある。泣けます。

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新旧混在する街を歩いていると、建てた時期を思いながら見ています。

「赤張り」と言われる銅葺きの屋根に意匠を凝らした手すりの民家は、少なくとも戦前のものだろうとか、ゴシック風の和洋折衷のビルは明治時代だろうか、とか。民家にも変遷があって、木や漆喰の壁だったものがコンクリート、吹き付けの壁になり、やがてサッシが導入され始めるのは昭和40年くらいからか。その頃から外壁にタイル張りの家がでてきて、昭和40年頃は光沢のある紺色のタイルや丸い褐色の大小のタイルのモザイク張りのような、見るからにこなれてない/センスのないものも多く、それも時代が下るとだいたい茶系の洗練されたレンガ風タイルが主流になります。

やがて、汚れや染みの目立つコンクリート系の壁は無くなりサイディングの壁が主流になっていき、のび太やサザエさんの家のような「文化住宅」は過去のものとなっていきます。

で、そういう流れの中にあって戦後あたりのビルというのは見ていて悲しくなってきます。コンクリートの外壁も窓も飾り気がなく貧相で安っぽく、建物に遊びがない。モノが無い金がない、という背景も分かるんですが、本来遊びにモノも金も要らないんですよね。それが悲しい。


ちょっと前に、Googleの社内はカラフルで色とりどりのバランスボールに座って仕事をする環境が素晴らしい、クリエイティブな環境だ、みたいな記事(例えば世界中の技術者が憧れる、Google本社の豪華ランチを食べてみた!!)がありましたが、それはどうなんだろう、と思います。

役所だとか昔のある種の事務所だとかには、グレーの椅子グレーの机が並んでいました。それって、Googleのように色彩による効果、みたいなことに全く無頓着だからグレーなんでしょうか。違いますね。全くGoogleと同じく色彩効果が分かった上で、グレーの素っ気無い色が選択されているんです。

「我々はここで仕事をしてるんだ、遊びじゃない」「そして無駄なことにお金は使っていませんよ」そうアピールするためにはグレーこそ最適。そして素っ気無い事務用品がその効果を高めます。実は、事務用品であってもそこで働く人の使い心地以上に、それを見る人の印象というものを気にするものだったりします。そういう側面でみると、Googleのカラフルな内装というのは取材記者や入社希望者へ「ウチはこんなに自由で既存の価値観にとらわれないんですよ」とアピールしている、という側面が大きい。過剰であざとい。そこで働く人のためのものじゃない。というのは言いすぎかもしれない、気に入ってる人もいるだろう、けれどもそこで継続して働いていればあんまり刺激や何かにはならないでしょうね。グレーの机と同じになっちゃうでしょう。

何でこんな話を持ち出すかというと、同じようにどう見られるかという力を戦後の建築物の悲しいまでの素っ気無さから感じるからです。素っ気無いのは、モノが無いからでも金が無いからでもなく、その時代の負い目、恥じらい、遠慮、ストイックさ、そういう気分が無言のうちにオーナー、設計者から末端の職人にまでコンセンサスとして行き渡っていたのであろうと想像するからです。

多くの戦後まもない時期の建築物を見たあとだと、先の名曲喫茶ライオンと同じく、そういう時代にあって気を吐く建物に意気を感じてしまうんですよね。しかも気負いのないしゃれっ気を持って堂々と胸をはって揺らぐことなく建ち続ける、宮益坂ビルディングは今も血を通わせている、そしてそれが当たり前のこととして普通にビルとして使われている。

こういうところに一度住んでみたいものです。