福島みずほブログ炎上
(オリジナルは消失)
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まだそんなこと言ってる人っているんだなあ。日の丸君が代はただの信仰(あるいは民間伝承)だから議員さんも乗せられて踊る必要もないのに。
そういえば先日、私のブログでもコメント欄にステロタイプな左翼な人が登場し、なかなか面白い会話になりました。(参照:MetLog: 「強制しない」を強制する人を矯正してほしい :コメント欄 )
私の主張は「決まったことくらい守ってくれ、子供や父兄のことを考えてくれ、主張するならルールを守って。子供を無視した教師のエゴは勘弁してくれ」というものだったのだけども、相手はどうもコテコテの左翼らしく「国粋主義」「ナチス」「帝国主義」などという言葉でポンポン攻撃してきます。やれやれ。これだから。
コテコテの左翼の人って、二元論に支配されてることが多いんです。原因は、おもなバックボーンが学生運動≒反戦運動≒安保闘争、というあたりにあるからです。その時代、早急な決断を求め、マルかバツか、戦争か平和か、賛成か反対か、という二元論を迫る風潮があったせいでしょう。左翼でなければ即ち右翼であり、国粋主義であり、軍靴の足音だったわけです。あ、そこ、笑わないで。本当にそういう風潮が盛り上がった時代があったんですから。
思想やイデオロギーに限らず、AとBでそもそも二元論はまずありえないんです。多くの場合、AかつBやAでもBでもない、という状況が発生してしまうためです。二つに分けることができるのは、つまり、AかAでないか、という分け方をする場合でしかないんですよね。
左翼か左翼でないか、しか頭にないから左翼でない「敵」を一括りにして捉え、それに名前をつけるという無理をやらかしがちなんですよね。多くはより聞こえの悪い「ナチス」や「帝国主義」を据えると、左翼側がより「正義」っぽく見えるから、つい、そう叫んでしまう。
ていうか、普通に「共産主義」「社会主義」の反対は「資本主義」でいいんじゃないかと思うんですが。脈絡もなく「国粋主義」とか言い出すから、程度が知れてしまう。アカの反対は何か、ってのはよくよく考えたほうがいい。
ところで左翼≒共産主義や社会主義、という思想は「アカ」と言われますが、赤の反対は何色でしょうかね?
色彩的には赤の対極にあるのは緑ですが、彩度が高く明度が低い点や、暖色の代表色と寒色の代表色という観点でも赤の反対は「青」と言っても、わりとすんなり受け入れられるんじゃないでしょうか。信号も赤の反対が「緑」であっても「青」と呼称されますし。赤の反対は青。一つの回答として、間違いではないと思います。
赤と青の対立、というとアレを思い出します、そう、キカイダー。あれってヒッピーでフォークで学生運動な左翼の闘士なんですよ。

キカイダーは、「左」半身が赤く右は青で、フォルムも一致せず断層があります。で、左が頭デッカチになってます。なんとなく符合するところがありますよね。キカイダーは良心回路が埋め込まれ、悪と正義の間で悩むヒーローですから、もう二元論に支配されまくってます。
キカイダーが悪と闘う正義の味方として登場するとき、彼は「フォークギター」を弾きながら現れます。フォークギターを背負い、青い服はジーンズにも見えます。さらにサングラスのようにも見えるゴーグルをしてます。漫画版でも同じ、ですかね。


彼の敵は、ドクターギル(ギル・ヘルバート教授)というドイツっぽい名前の人の作った悪の組織です。そして、キカイダーが悶絶するほど嫌いなものが、プロフェッサー・ギルの笛の音です。そのメロディは、寂しげなマイナーな曲調で、ゆったりとしたテンポで、君が代を思わせるものがあります。おお、正義の闘士!
まぁコジツケって言えばコジツケ。ですが放映が72年~73年。ベトナム戦争の最中であり、東大紛争、70年安保の熱も冷めやらぬ時代ですから、あながち無縁でもない、避けられない影響というものもあったんじゃないでしょうかね。
ちなみに、続編のキカイダー01(ゼロワン)は73-74年放映。キカイの時代を終えると、デジタルなキカイ(01)の時代へという予見的なネーミングで、今から思えば示唆的です。こっちには敵として「悪魔の子」ザダムが登場するという…
「赤」の反対は他にもあります。「白」ですかね。「白系ロシア人」という言葉がありますが、これは「ロシア革命(社会主義化)」を嫌って亡命したロシア人を指します。つまり日の丸は、アカを中央に置き白(非社会主義)が周りに従っている、ということで気分よく眺めてもえらばいいんじゃないかと。
「誰のためでも いいじゃないか みんな その気で いれば いい」(宇宙戦艦ヤマト 真っ赤なスカーフ)
ちばてつや氏の漫画「男たち」(だったと思う)で、ラジオ体操が死ぬほどイヤでそれだけはやめて欲しいという男が登場します。その男は、ラジオ体操を聞くと刑務所生活を思い出すからだ、という。その話を読んだとき、私は刑務所に入ったことがないのにものすごく分かる気がしました。やっぱり「強制」される局面で刷り込まれているという点では、幾分理解できるからでしょう。
同じく、日の丸君が代というのは、ある世代の人たちにとってはものすごくイヤなものを思い出させる呪文なわけだったんです。理屈じゃない。珍妙な理屈ではなくて、そういう感情と記憶に根ざしたものなんです。
過去のある段階においては、君が代日の丸を嫌うというのはよく理解できることでした。「君が代日の丸が軍国主義を引き戻す」という言葉は半分は本当だったわけですから。正確に言うなら「君が代日の丸によって、軍国主義時代に引き戻されてしまう『記憶を持つ』先生」ってのが、確かに存在したわけですから。そういう先生が日の丸君が代を拒否するのはよく分かるし、それはアリだと思うんですが今はそれではない。感情のみが伝承されている。
忠実な弟子たちは「この反戦の火を消さずに」ってことで伝承してるんだろうけど、それはもう感情の伝承で、どちらかというと呪いか信仰というべきものです。だから今頃日の丸君が代に反対してる先生は、昔以上にその理由を説明できない。
反戦を謳ったそういった活動自体は別に良いんじゃないかと思う(というか興味が無い)んですが、軍靴の足音、軍国主義、国民総動員で死地へ赴く、というアオリは今時有効じゃないですよ。むしろ、正義の名の下にルールを踏みにじることを善しとするようなテロ的行動のほうが恐がられる。その辺の時代の空気も踏まえた上で反戦平和の旗を振っていただければより摩擦も少なかろうと思います。