はてなブックマークでざっと見ていると、以下のようなエントリが注目を集めていました。
Cafe Babe - 組織の自己崩壊に関する研究
最近,私が社内で優秀だなと一目置いていた人がどんどん辞めている気がしていた.ものすごく寂しくなると共に,彼らは本当に我が社にとって必要なんだということをなんとかして客観的に証明できないかなあ…とずっと思っていた.
一読して、なんだかなーと思ったのだけども、ブックマークを付けているユーザーのほとんどは好意的。(はてなブックマーク - Cafe Babe - 組織の自己崩壊に関する研究)みんな、本気で感心しているんでしょうか。
ざっくり「これはないんじゃないか」と思った点は以下四点。
一。辞める動機を画一的に決め付けていいのかどうか。能力を認められない有能な人材が他社へ流出するというのは確かにありうるケースだけども、それだけが辞める動機じゃないし、それ以外のケースを検討すらしていない。有能な人材が認められずに人材流出するケースが最も多いケースだとする根拠も無い。
二。人は、条件が整ったところで辞めさせられるわけじゃないということ。自らが決めて辞めるということです。動機が「有能であるのに正当に評価されない」ということならまずそうだと言っていい。「辞める」というのは主体的行動だということを無視している。
つまり、「有能なのに評価されない」という客観的事実によって、人は会社を辞めたりはしないんです。「有能なのに、評価されない」と思う主観的判断で、会社を辞めるのです。主観的判断が客観的事実と一致するか、というと、なかなかそうではない。本人は「有能だ」と思っていても周りは「そんなこと、ないんじゃない?でも言わないけど」というケースは少なくはないでしょう。あるいは、自らが「ついていけない」ことを認めたくないために「やってらんないよ」という風に思い込みたい、ということもあるでしょう。そんな悲喜劇が、退職前後にはよく見られる光景でもあります。
三。データというにはサンプルが少なすぎること。しかも、最初に引用したとおり、最近,私が社内で優秀だなと一目置いていた人がどんどん辞めている気がしていた.
という状況に沿った6人の退職者をサンプルに使っているっぽいので、「優秀な人材から辞めていく」という結果は当然の帰結。赤い枯葉の色を調べてみたら赤かった、と言ってるに過ぎません。「私が社内でツカエネーなと軽蔑している人物からどんどん辞めている気がしている」ような状況下でデータを取れば、逆の結果になるはずで、単なる個別のケースを一般論として拡大するのは無理があります。
四。数字の大雑把な処理がなんとも。量は質を圧殺し、ざっくりとした概論に変換するのだけども、その質こそが問われる内容なのにそこを丸めちゃ話にならんでしょ。辞めた動機を追わずに数字だけを提示するいい加減さがどうにも気になります。なんていうか、学生のレポートを見てるみたいっていうか使えないコンサルのプレゼン資料みたいというか。現実味がないってことです。実体験にもそぐわない。振り返ると、そんな理由で会社を辞めていった人間などほんの一握りに過ぎないんですよね。研究者とは違う業界ですが、ゲーム業界など異様に回転の速い業界でもあり、サンプル数では負けません(笑
沈みゆく沈没船から零れ落ちるネズミのように会社を辞めていった人々にとって、評価も上司もあんまり関係ないわけだし。「有能なのに評価されない」とは全く逆に、経験から自信を身につける前に「向いて無いんじゃないか」と辞めていった人も多かったし。実家や家庭や個人的背景で辞めることもあるだろうし、職場が禁煙だからというのが辞める動機になった人もいた(その逆もいた)。辞めていく因果関係なんて、たぶんザックリとした、しかも僅かな数字では括れないものでしょう。
研究者と一般人では状況が違うのかもしれませんが、「研究者は、そーなの!」という一言で納得できる種類のものではありません。
とはいえ…まぁ、そういう理由で辞めていく人がいて、残念だという気持ちは、良くわかるところではありますが。
人が会社を辞める理由は、だいたい次の二つに集約されます。「やってられない」か「やっていけない」か。
具体的に言うなら、次の二つがあるでしょう。一つは「正当に評価されない(やりがいを見出せない)」こと、もう一つは「充分な報酬が貰えない」こと。この両方が当てはまってしまうケースが、かなり強力な転職動機にはなるでしょう。どちらか片方があっても、どちらか片方が無ければなんとかやっていけるものですが、両方とも当てはまってしまうと苦しい。
もちろん、客観的事実ではなく、主観としてそう感じていれば、充分辞める動機になります。
では、両方とも当てはまらない人=社内でも評価が高く、報酬も充分に得ている人、は辞める理由がないのでしょうか。というと、そうでもありません。
ある日Xさんが辞める、という衝撃が社内を走りました。Xさんは人望も厚く実力もあり、またそれだけに、高く評価され、上からは期待され下からは信頼されていました。報酬が不十分であったとは考えにくいところです。そして「なんで?」という思いもありました。
人が辞める理由なんて、なかなか判らないものです。なぜなら、辞める人は正直に理由を言わないものだから。それは正解だと思います。ちょいと親しい友人であっても軽率なことは漏らさないというのは転職時には大事です。
辞めてもまた仕事に就く。たいていはそうです。仕事に就くには、今までのスキルをアピールするほかない。それも当然です。となると、転職先は同業他社、しかもライバル社ということになりがち。となると、元の会社からは良く思われなかったり、いろいろと無用のこじれを産みがちですから、余計なことは言わない。辞める理由もとりあえずは「実家を継ぐ」とか「親戚の仕事を手伝う」とか、見え透いたことを言ってしまうのもアリといえばアリでしょう。もしアナタの親しい人が辞めたとしても、その理由はしつこく聞かないのがせめてもの情けであり友情です。見え透いた理由であっても黙って頷くのがオトナってものでしょう。
…というわけで、人の辞める理由なんて、まったく鵜呑みには出来ないのですが、Xさんは辞めた理由に「子供と自由に遊ぶ時間もない」という理由を挙げていました。これは、納得できました。上手く伝えられるかどうか自信がありませんが、その場の状況、空気、全てを含めて信じれる話だと思いました。
大きな仕事を任せられ、多忙を極めたXさん。だけども、替えられない子供との時間。自身にとって何が大事か。それを踏まえた上で、そういう決断もアリだろうなと、深く納得した私でした。
仕事が多忙で彼女にフラれる、ってのもよくある話で「私と仕事、どっちが大切なのよ!」なんていう修羅場をくぐってきた人も多いことでしょうが、子供からフラれるのはまたちょっと違います。彼女にフラれるのは許容できても子供から忘れられるパパというのは許容できない厳しさがあります。わたしもそれはちょっと耐えられない。
そういうことが、子供のいない、特にひとり身の若い人にはなかなか判らなかったりするんですよね。身軽に仕事に没頭できるというのはそれはそれで素晴らしい状態ではありますが、やがてそういう人も、身軽でない人の気持ちが判るようになってきます。たとえ結婚して子供がいなくても。というより、判るようにならなければ、いけません。
…産休を終えて復職した妻も、周りに若い世代が多いせいもあっていろいろと苦労が絶えないようです。
尊敬するエンジニアがポツリと「これまで家庭をかえりみなかった、だから、かえりみられなくなった」と言った言葉が忘れられません。サラリと言ってましたがその言葉は軽くない。状況によって仕事によっては、多くの人への責任を問われるような、シビアな商品に携わることもあるでしょうし、どうしても手が離せないこともあります。そういう決断も一つの決断としてアリでしょう。彼を尊敬していますが、しかしそれは私にはできない決断です。
休日に家族と公園に出かけたりするには丁度いい季節です。子供の楽しそうな姿は目に焼きついて離れません。そんなこんなで、当分辞めずにやっていけそうな私です。