ウォーキング途中の横断歩道を渡っている時、車が停まりもせずに私を「追い越して」行った。教習所でちゃんと習ってきたのか?
ところで、うちの近くのとある医大の前は、見通しのいい広い道で、そこに一本の横断歩道が伸びています。ただの横断歩道だったのですが、近年信号機がつきました。誰も横断歩道で停まらないからです。本当だったら、歩行者がいれば停まってあげて、そうでなければ自由に走れる道なのに、誰も停まらないおかげで流れを止めることの多い信号を設置しなければならなかったわけです。しかも病院の前なのに。恥ずかしい。私はこの信号を密かに「恥ずべき記念碑」と名付けました。私を含む、全てのドライバーのために。
でも、おそらく横断歩道を停まらないのは悪意や傲慢に基づいているんじゃないんです。先のほうまで注意して周辺を確認していないから、目の前になるまで気がつかない。急ブレーキをかけないと停まれない距離まで気がつかない。だから、停まらないんです。つまり、運転者が未熟だから、停まらないんです。遠くまで見通し、周囲を見ることは重要な運転技術なんですけどね。
こういうステッカーを貼る人は車を運転しないほうがいい。見るたびにいつも思います。
この手のステッカーの最大の問題は、意味がないことです。どういう意味で、どういうことか。だから何?って感じです。本人はなにかしらの意味づけがあるのかもしれませんが、わかば(初心者)マークやもみじマークと違って、共通認識もルールも何もない。意味不明。死角を増やしてドライバーの後方情報を減らしてまで得るものは何もない。しかし、これを付けるドライバーの心理はいくらか読み取れます。
「俺様にぶつかるんじゃネェよ」的なメッセージというのが一つにはあるでしょう。しかし深くよめば、つまりは人のせいにして自分の運転技術の向上心は持ってないことを語っているわけです。運転技術はないことが自明(後述)なのに、これではいけません。
逆に「子供が乗ってるから、用心して運転してるよ」的メッセージだという解釈もありますが、それもまた問題です。
だいたい子供が乗ってなければどんな運転をしているのか?子供でなくとも子を持つ親なら事故にならない運転をしてほしい。子がなくとも、大切な人が乗っていれば、または自身が事故れば悲しんだり困ったりする人がいるのならば、やはり細心の注意で運転して欲しいものです。
そもそも、事故って悲しむ/困るひともいない、なんて人はごく僅かなわけですから、もし表示する必要があるなら、むしろ逆の人が表示したほうが効率がいい。「天涯孤独」マークとか。
なんていうか子供がいるからって特別じゃないってことをわかって欲しい。皆同じ、大切な人間が乗っている車なんだってことをわかってるんだろうか。
それと、子供が乗ってるからって運転を変えるという問題。状況によって運転スタイルを変えるというのは高度な技術です。むしろ危ないので素人がそんなことをやらないほうがいい。いつものように、安全運転、それでいいはずなんです。
仮に、子供が乗ってるという危険性を表示する必要があるとしたら、最初にも書いたように法による意思統一が必要であり、また、この手のマークは視認性が悪すぎるという問題が挙げられるわけです。わかばマークやもみじマークは遠くからでもわかる。だって2色塗りわけだけですから。文字はそうはいきません。これでは近くまで行って読まなければわからないわけです。むしろ危ない。(一方、身体障害者マークも同様に視認性が悪いわけですが、これは駐停車時に意味のあるマークなので、走行中は同じであるということでしょう。)
つまりですね、子供乗ってますステッカーを貼ってるってことは、裏を返して言ってしまえば、遠くや周辺まで見通してないってことを自分で言ってるわけです。わかってないわけですから。自分が近くしか見てないから、近くからしかみえないようなものを貼って平気でいられる。恥ずべき記念碑の作成者名簿に人より太い字で刻印されるべき人なわけです。つまり運転は未熟。子供を乗せて走る責任を少しは感じるのなら、自身の運転技術向上にもっと積極的であるべきでしょう。
とはいえ、走るなとも言えずこういう人が走ってるわけです。こういう人は自分自身の意に反して、非常に事故を起こしやすい人なので、見かけたら注意が必要です。ホント。